2019年5月 6日 (月)

34年越しの・・・。

さて、ゴールデンウィークがぐうたらと暮らしていましたが、

一日ぐらいどこかに出かけたい!と考えました。

以前、行きたいと思っていたところに行ってみよう。

と、いうことで

つくばに行ってきました。

といっても行きたいと思ったいた時ははるか昔…。

34年前に遡ります。

それは、つくばエキスポ85

博覧会好きとしてはどうしても行きたかった!のですが、

家から遠くて、行けなかったのです。

それでついに行くことが出来ました(跡地ですが…)

現在は「エキスポセンター」になっていますね。

中は科学館とプラネタリウムになっております。

当時のキャラクターがトイレのデザインに!

・・・でもどっち?

そう、このキャラクターも好きでした。紹介しましょう。

コスモ星丸

ファミコン時代の技術力の総結集であることはわかるのだけど…。

動いていないのがさらに悲しい。

ピンクもいるでよ

今の技術をつぎ込んだら、どれくらいのスペックを持ったコスモ星丸になるのかが知りたい。

きっと空も飛べるのではないだろうか…。

ちょっと見てみたい。

そして今は

Dsc04275

テクモ筑丸もいます。

令和を掲げてこどもの日仕様。

どうやらこちらは現役のようです。

科学館もいろいろ見て回りましたが、結構お金がかかっているように思います。

発電の仕組みなど面白かったです。

自然エネルギーよりも原子力発電の方が容易にクリアができるのはご愛嬌。

科学技術が人を幸福にすると信じられていた時代。

確かにAIや量子コンピュータも科学技術だけれども、

人の合理的判断がもはや立ち入れない時代になってきているのかなと思います。

人の合理性が神をも超える可能性があると信じられていたこの時代は、

今は色あせてしまっているけれども、当時の輝きは半端なかったんだよと伝えたい。

そうおもった散歩なのでした。

| | コメント (0)

2019年3月17日 (日)

おくのほそ道をたどる~3室の八島

さて、少し時間が空いてしまいましたが今回は室の八島に行ってきました。

室の八島は古代より多くの歌人に歌われてきました。
Dsc04218
絶えず焚く 室の八島の煙にも
なをたち勝る 恋もするかな   摂津
室の八島の煙というのは恋焦がれる思いを比喩的にあらわされたもので、
多くの歌人に歌われたものです。
そのように歌われた煙なのだからきっと美しい・・・と芭蕉が感じ入るのも当然で
わざわざ壬生から遠回りをして入っているのです。
大神神社
Dsc04222 Dsc04221
狛犬の細かな部分に彩色が残っていて当時は華やかだったのだろうと思われます。
Dsc04219
現在の建築は大正時代のもの。
芭蕉がここに来たのは天和2年の復興後とのことですので
おそらく真新しい建築だったのだと思われます。
Dsc04228_2
日本最大の広葉杉。
Dsc04234
ここは親鸞も訪れた古刹なのですが、長らく荒れ果ててしまっていました。
(そう考えると関東三十三所はすごい・・・)
家光が日光に参詣するときに立ち寄り
名所であるこの場所があれてしまうのは忍びないと家光が寄進したのが
中興の礎になりました。
Dsc04231
家光が寄進した1万本を御用松と呼んでいるそうです。
Dsc04226
しかし、曽良がコノハヤサクヤビメとの関係をとうとうと語る部分で芭蕉は何を思ったのでしょうか。
そもそも大神神社は三輪山がご神体です。
一方でコノハヤサクヤビメは富士山とつながりがあるのですよね。
聞くからに怪しげな感じに思うのですが…。
とはいえ、八島だけを考えたらこのような景色も十分フォトジェニックだと思います。
なんといっても
Dsc04224
此処が室の八嶋
と強調されています。ハイ。
結局、芭蕉はここの歌を「おくのほそ道」には残しませんでした。
初めてたどった歌枕の地にもかかわらず。
替わりに
Dsc04225
糸遊に 結びつきたる 煙かな
と詠んでいます。
古代の人は春の陽炎を煙とみなした・・・そう考えたのかもしれません。
ちなみに室の八島は何を指すかは諸説あり、そのうちの一つに
かまどを指しているという説があります。
個人的にはかまど説が好きです。
家に帰ってきたときに煙が上がっているのを見て相手の愛を感じる…
いいと思うんですけどねーかまど説。
さて、このまま帰るのは少ししゃくだったので、プラプラしてみます。
Dsc04235
不思議な建物が…。
こういうものが八島に見えたのかなーなんて思ったりました。
しかし、何の建物だったのだろう…。
Dsc04236
ぎやー!遠い!
中世に比べて古代って距離感がずっと広いように感じる。
実は結構スピードを出して行き来していたんじゃないかって思う。
中世に比べて道も整備されているしね。
やっぱり、国家体制と共同体体制の違いかな・・・。
Dsc04237
昔ながらの建物が点々と続いています。
日本の農村景色ですね。
Dsc04240
この時にスウィートホームのゲームが思い浮かんだのは秘密。
Dsc04242
だんだん歩くのも心細くなる道の先に…
Dsc04243
目的地がありました!
下野国資料館です。
律令国家であったとき東山道の国衙の一つでした。
東山道は平城京から北は青森までという、一大行政区域だったのです。
おくのほそ道でここに立ち寄るのもある意味必定だったのかもしれませんね。
もっともここが発掘されるのはずっと先のことですが。
むろん当時のものは礎石や瓦などにとどまりますが、
Dsc04255
なんと入り口部分は再建されています!
Dsc04261
関東では大分寒そうですよね。
入り口部分ですね。
Dsc04254
脇殿には藤棚が配置されており
Dsc04260
遠景でもイメージがつかめるようになっております。
実は本殿跡には現在神社があります。
Dsc04262
この神社の祭儀風儀には氏子の祭組にいわゆる「宮座」をうかがわせるものがあること
祭式次第に「直会」をうかがわせるものがあるなど特色があるようです。
いわゆる講をはじめとした地域共同体が生まれるのは平安時代末期から室町時代と
いわれていますが、国衙の本殿をよりどころとして失われた神社も多い中で
文化と伝統が続いていったことは驚くべきことです。
文字以外の継承ももっと大事にしていくべきだと思った旅でした。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2019年1月 5日 (土)

おくのほそ道をたどる~再びの草加~

正月に中学生のいとこの子どもに百人一首で完膚なきまでやられたみもっちです。

9年前!?
古い記事をあさってみると三大ガッカリ観光地として
札幌時計台
をあげていました。
確かに、何度も行きたい!という場所ではないにせよ
どうしてそこまでたたかれてしまうのか。
思うに、時計台のイメージがよすぎるのではないかと思います。
どうしてイメージがよすぎるのか。
私は北原白秋の「この道」のせいではないかと思うのです。
この道はいつかきた道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる
そして2番
あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ
と続くのです。
しかし待った――――っ!!!
これでは時計台が丘の上にあるようになってしまいます・・・。
アンドリューワイエスの絵のようなイメージです。
しかし時計台がある場所は扇状地。丘の上には建っていない…。
もっと言えば、あかしやの花を見て書いたかも疑わしい・・・。
北海道で咲いているのはニセアカシアで、色のせいかそれほど印象的ではないのです。
しかし!札幌の花はアカシアと繰り返し歌われることになり、
ビルに埋もれる時計台を見てガッカリされることになってしまったのです。
まさしく、素晴らしい詩が現実とは必ずしも一致しない札幌のイメージを作り上げたと
いえるのではないでしょうか。
閑話休題。草加に戻ります。
Dsc_0021
草加駅前へ。
しかし、ここで気が付いた。
ミラーレス一眼の電池が切れていることに…。
ということで、タダの重い荷物を持って歩き回ることになりました。
お土産を持たされる芭蕉さんの気持ちがわかったところで…。
Dsc_0025
歴史民俗資料館です。
大正時代に建てられたコンクリート造。
長らく小学校として使われていたようです。
無料で入れることもうれしい。
Dsc_0029
17世紀に創建された東福寺。
松尾芭蕉が歩いたころにはすでに存在していました。
ただこの建物は19世紀に入ってからのものです。
Dsc_0032_3
松尾芭蕉像です。
やはりたれ目が基本。
でも細身です。
Line_1546657629200
草加松原です。
今でこそこのような素晴らしい松並木が続いていますが…。
松尾芭蕉がおくのほそ道を書いた当時は
Dsc_0026
実はこんな感じ。
あの有名な草加せんべいもまだなかったと言います。
Dsc_0034
「おくのほそ道」では、ようやく草加に宿を取ったと書かれていますが、
実際は越谷宿よりも先、粕壁宿(春日部)で宿を取ったとされています。
それでは、どうして草加に泊まったことにしたのか。
つらい思いを示したかったなどともいわれていますが、
私は、松尾芭蕉の読者に対する考えがあったことだと思います。
あえて読者である江戸の下町の人にこの旅を身近に感じて
もらいたかったのではないかと思うのです。
もし、粕壁としてしまうと、日本橋から50キロ以上ありますから、
おそらく、下町で生活している人には身近に感じられない距離でしょう。
よっぽどでなければ行こうとすら思いません。
しかし、草加であれば日本橋から22キロ。さらに下町からなら
もっと近く感じられるでしょう。
頑張れば日帰りも無理ではありません。
そのように少し足を延ばせば届く草加を取り上げることによって
この作品を身近に感じてもらいたい、そして東北というはるかな旅路を
少しでも感じ取ってもらいたい。
そう思っていたのではないでしょうか。
そして、「おくのほそ道」に取り上げられたことによって
草加は現在のように発展したのだと思います。
まさしく、素晴らしい作品が作り上げたイメージに沿うように
街が作られ、ドナルド・キーンに「おくのほそ道の風景地」と
言わしめるほどになったと思うのです。
Dsc_0033
そして、この街並みが少なくとも300年続いているのですから
既に「歴史的」ともいえるのではないでしょうか。
そこには町に対する多くの住民の強い愛着を感じずにはいられません。
すべての松の木にこもを巻いていることも、
多くの人が行き来して時には松を見上げていることも、
先人の努力がまたあらたな郷土愛と素晴らしい景色をうんでいくのだと感じました。
・・・いっそのこと、羊ケ丘の丘の上に時計台を作ってしまおうか。
Dsc_0035

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月21日 (日)

おくのほそ道をたどる~旅立ち~

まずは、芭蕉の旅立ちに合わせて降りたのは

Dsc04161日暮里駅です。
旅立ちの場所は別の場所。
どうして、わざわざこの駅で降りたのかというと
旅立ちに
「上野谷中の花の梢」
という一節が出てくるからなのです。
なぜ、わざわざおくのほそ道に
関係のない地名を忍ばせたのか。
思うに、この話は
江戸に住んでいる人を読み手として想定したのではないかと思うのです。
だからこそ、江戸の人に良く知られた地名を書いておくことにより紀行文を身近に感じてもらい、
さらに、日常の地名を入れることにより旅という非日常をより際立たせることが出来たのではないかと思うのです。
谷中は日暮里からすぐそばにあります。
すぐに谷中霊園にあたるのですが、その霊園のわきに幸田露伴の住居跡があります。
ここから見えた五重塔をモチーフに『五重塔』を書き上げたと言われていますが
Dsc04161a
今は何も見えません。それもそのはず
Dsc04165
昭和32(1957)年に放火心中があり、燃えてしまったのです…。
Dsc04166事務所には五重塔の模型があります。
大きく立派な五重塔だったようですね。
これが燃えてしまうなんて
放火心中コワイ
建てられたのは正保元(1644)年なので、
芭蕉もおそらくこの五重塔を眺めていたのだろうと思います。
もっとも幸田露伴が書いている通り明和9(1772)年に建て替えているため全く同じではないかもしれませんが…。
さて、谷中霊園は様々な宗派の人の墓があり、神道などの墓もあります。
徳川慶喜の墓もここで眠っています。
行くときに恒例の夫婦のご主人が
「テレビで見たよっていうんだ」と
話していましたが、それは徳川慶喜ではなくてモックンなのでは…。
イツチヤダメ
Dsc04168
徳川家は代々仏教徒ですが、ここでは儒式で祭られています。
林家墓地はちょっと手入れが十分ではないように感じましたが
ここでは本来の儒式の墓の様子がわかりますね。
まあ、このあたりは無論江戸時代にはなかったわけで次に進みます。
Dsc_0011
以前から行きたかった笹乃雪へ。
元禄年間からあったということで、おくのほそ道を旅したころから存在する
貴重な老舗です。
Dsc_0014
餡掛け豆腐がこのお店の名物。
餡がさらりとしておいしいです。
Dsc_0018
茶粥がおいしかった。
江戸時代からの変わらぬ味だと思います。
忠八めしを思い出しました。
Dsc04172
上野をめぐり、いよいよ千住へ。
さて、千住についてはおくのほそ道では次のように書かれています。
Dsc04191
意外と簡潔にしか書かれていないのですよね。
行く春や 鳥啼き魚の 目は涙
という歌が記憶に残っていましたが。
そのために川の岸の手前か奥かでもめています。
なぜなら…手前が荒川区で奥が足立区・・・だからなのですね。
さて初めは南千住。
Dsc04179
南千住のロータリーにしっかりと立っています。
見据えているのは千住大橋でしょうか。
ちょっと若々しく、たれ目が現首相に似ている感じも・・・。
素戔嗚神社にも寄ってみました。
Dsc04181
うん?笠と杖が…。
なんと松尾芭蕉の書置きがありました。
「こんにちは 松尾芭蕉です」
・・・カルイ
ここでは7日逗留したという説を取っているようですね。
これは曽良の日記から生まれたものでしたが、
実際は誤記であったとの説が通説です。
その日のうちに春日部まで向かったということになっているようですね。
とはいえ、笠と杖が残されているというのは遊び心があってとても好きです。
おくのほそ道はフィクションが多分に交じっている旅行記ですから、
寄っていったとしたって十分よいのではないかと個人的には思うのですが。
さて、先に進むと
Dsc04189
見えてきました。千住大橋。
以前隅田川にかかっていた橋はこの橋だけだったということで
「大橋」
とよばれていたそうです。鉄橋のプレートに名残がありますね。
Dsc04195
船で降りたあたりに矢立初めの地という石碑が…。
そしてそこから進んだ足立市場に
Dsc04196
北千住側の松尾芭蕉像があります。
これは、あちこちに芭蕉像ありそうですね。
あと何体見つけることができるだろう…。
基本たれ目に作られているんですね。
これは矢立を持っていてなかなか芸が細かいと思います。
一旦ここで終了。
次回はあるのか?!こうご期待。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年10月13日 (土)

おくのほそ道をたどる~発端~

おくのほそ道をたどる~発端~
おくのほそ道をたどる~発端~
関東三十三ヶ所巡りをして早一年が経とうとしています。
秩父や西国巡りも考えましたが、やる気がまるででない日々…。

そんなとき、ふと
東北に行ってみたいかも
と思いました。

東北の旅文学といえば、やはり
奥のほそ道。

元禄2年(1689年)。
奥羽・東北地方から伊勢を巡る旅を書いたもの。
それは、歌枕を巡る旅であったとも言われています。
映像が無い時代、歌枕は美しい景色を広く伝え、人に旅への憧れを強めさせたアイコンだったのではないでしょうか。
そんなおくのほそ道もまた旅への憧れを強めさせるものです。
そして私も…

というわけで、今回は

『おくのほそ道』に書かれた地名を順にめぐっていく旅

です。
でも、例えば発端にかかれている白河の関など挙げているだけのものは除きます。

そう決まったらまずは、トラベラーズファクトリーで
トラベラーズノートを購入。

旅の記録を書きながら進んでいきます。

さて…どうなることやら。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年7月29日 (日)

さんふらわあ だいせつで北海道に行ってみた

 

最近、フェリーが熱い!
ということで、少し前ですが、さんふらわあ だいせつで北海道に行ったときのことを書きたいと思います。

さんふらわあは大洗―苫小牧間を夕方便、深夜便と運行していて、今回は深夜便に乗ってみました。

深夜便だと仕事帰りでも十分間に合います。

Dsc04129

水戸駅からバスに乗りました。最終便なのでちょっとドキドキ。
まずは大洗港に向かいます。

Dsc04130

茨城交通のバスで向かいます。

ICカードが対応していますが、いわゆるSuica、Pasmoが使えないので注意!

同じ失敗を繰り返したことは秘密

大洗港は水戸の玄関口だけあって古い町のように見えました。
今度はゆっくりめぐりたいな…

Dsc04131

架空のアニメののぼり旗が立っていました…。

フェリーターミナル近辺は港湾都市然としてました。

Dsc04133

中に入ると・・・。

Dsc04134

真ん中の自動チェックイン機が使えます。

チェックインするとカードが出てきます。

Dsc04158

これで、室内に入れるかと思いきや実は入船、退船のときのみで

必要なのはバーコードという・・・。

さんふらわあ だいせつで北海道に行ってみた

出港は深夜ですが、夜9時には乗り込むことができるので、早めに休むことができます。

出向前にお風呂に入りました。

部屋はカジュアルルーム。
なんとなく寝台列車をほうふつとさせます。

Dsc04139
二段ベッドではないけれど…。
四人部屋でしたが、もう一人入っているようでした。
なかなかの混み具合。
お風呂後のタオルをどこにかけるか悩みましたよ。
コンセントが一口ついていたのは嬉しい。
レストランはついていないので、自販機で買うことになります。
電子レンジもありましたが、夏は自販機の方が安心ですね。さんふらわあ だいせつで北海道に行ってみた

さんふらわあ だいせつで北海道に行ってみた
さんふらわあ だいせつで北海道に行ってみた

食事スペースもあります。

Dsc04141

Dsc04145
でも、ほとんどはベッドのスペースにいました。

海岸に近いところを運航していたせいか、結構電波も繋がりました。

Dsc04142

一応、公衆電話が…。

とはいえつくのは翌日の夜…。

安いですが、休みをわざわざとる人にとってはちょっとつらいかもしれませんね。

Dsc04143

| | コメント (2) | トラックバック (0)

2018年7月18日 (水)

がまぐち

がまぐち
眼鏡ケースを買いました。

京都のがま口屋さんです。
好きなお店なのですが、知ったきっかけは母が

「立て型の眼鏡ケースが欲しい!」
というワガママなお願いがあったから。

さんざん探してようやく見つけたのがこのお店でした。

その時はお店の名前も確認せずに立て型の眼鏡ケースを購入。

そして、眼鏡ケースを送ったところ、母からメールが。

「キミマロありがとう✨」

うん?キミマロ?

ホームページで確認したところ…

アヤノコウジ

綾小路違いじゃー!(ノ-_-)ノ~┻━┻

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月24日 (土)

思い立ったが発願めざせ結願~終わりに1廻ったからこそ言えること

さて、いろいろありました三十三か所巡り。

巡ってみれば楽しかったです。
でも、巡る方にはいろいろアドバイスを・・・。
1.お寺はそれぞれ
三十三か所巡りといっても、それぞれのお寺が独立しており、
決して統一的な見解を示しているわけではありません。
積極的なお寺もあれば、本当はやりたくないんだけど…と素直に言ってくれるお寺もありました。
それもそのはず、三十三か所巡りは源頼朝が作ったと言われていますが、
実際は江戸時代に民衆に広がり、お寺とは別団体が納経帳などを作っています。
あまり、寺院にはうまみが少ないのかもしれません。
そのため、納経には改めてお金を支払ってほしいと言われることも多々ありました。
一応納経代(朱印代)は300円と決まっていますが、
多めにお金(小銭)を持っていくことをお勧めします。
2.歩きやすい服装で
浅草寺などは言うに及ばす観光地化しているところは軽装で問題ないのですが、
とくに日輪寺は沢登りがあるなど、ウォーキングシューズでも厳しそうなところがありました。
私はたまたま長靴でしたが…。
往復1時間は当たり前、さらに大概山の上にありますので、
歩きやすく防水機能が付いている靴の方がよいのかも。
自転車も脚力がないとなかなか厳しそうです。
3.順番通りじゃなくてよい!けど・・・。
江戸時代のスタートは浅草寺からだったそうです。
最も人口が多い江戸の寺だから当然ですね。
順番通りじゃない方が廻りやすいことも確かです。
でも、順番通りにまわったからこそ、見えたこともあるのも事実です。
例えば、渦巻き状につないでいく三十三か所の寺は
さらに、勢力を伸ばしていこうとする頼朝の野望を感じることが出来ましたし、
渦巻き状に広げていった江戸の街並みを考えた徳川家康のアイデアの端緒にも
なったのではないでしょうか。
そのような頼朝の思いをなんとなく感じられたような気もするのです。
時間があれば、ぜひ順番通りにめぐっても面白いのではと思います。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月10日 (土)

思い立ったが発願めざせ結願~33那古寺

さて、ついにこの三十三か所巡りも最終回。

長かった…と言っても、一年もかからず回りきってしまいましたが。
いろいろあったなぁ…。
茅葺屋根の杉本寺から始まり、
神奈川、埼玉、東京…。
埼玉の交通の不便さに音を上げていたことすらかわいく思えるほど、
坂をかけていった群馬、雪をかき分けた栃木、そして遭難するかと思った茨城…。
そして、千葉…。
いろんな思いが交錯します。
そして、いよいよ最後に向かったのは館山。
その名の通り、砦として機能していた見晴らしの良い場所になります。
Dsc04069
昔はここから船で戻っていったのでしょうね。
Dsc04070
多宝塔。
創建は奈良時代ですが、山頂にあったという本堂は地震によって倒壊。
現在は中腹にあります。
館山の風景を山頂からは一望でき、寺が砦としての機能も果たしていたことが
うかがえます。
ここで、朱印と結願の印ももらい、
(希望があれば賞状ももらえます)
ついにここに三十三か所巡り完結!
ここまで読んでいただいて、ありがとうございます。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月 9日 (金)

思い立ったが発願めざせ結願~32清水寺

清水寺といえば、京都が有名ですが、実は千葉にも

同じ、音羽山清水寺があります。
ここも、だいぶ不便なところにあり、最寄りの駅からも50分…。
(ガンバツタ
川のそばなので、昔は船で向かったのかもしれませんね。
Dsc04051
50分歩いた先にこの坂…。
Dsc04042
高蔵寺は奈良時代から続く寺院ですし、
近畿地方と共通の地名があったりと
千葉県の寺院には今までは習っていなかった
歴史の新たな側面をまざまざと感じています。
意外と、海路は現代とそん色がないほど進んでいたのかもと
考えさせられます。
東征中の坂上田村麻呂が建てた寺院と言われていて、
古代国家の征服への人の流れが、古代国家の文明を地域に土着させ
土着した文明が花開く中世へと続いていったことが感じられます。
Dsc04044
迫力のある仁王様。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月 8日 (木)

思い立ったが発願めざせ結願~31笠森寺

さて、残りあとわずか。

次に向かったのは笠森観音です。
Dsc04002
さっそく、心がへし折られる階段が続きます…。
Dsc04005
でも、途中でいくつか見どころを作っているのも
古刹ならでは。
高尾山もそうですが、たのしみながら登ってもらおうという
先人の知恵を感じられます。
Dsc04010
松尾芭蕉の句碑もあります。
すべて踏破した芭蕉の脚力に脱帽。
そして、路銀を賄うことができる作句力も…。
Dsc04011
小高く登ったところに笠森寺はあります。
見どころは何といっても観音堂。
Dsc04014
通常は、岩にせり出した形で、正面のみ建てられていることが多いのですが、
これは四方にせり出しており、日本唯一といわれています。
これをみられるだけでも階段を上がった甲斐はあります。
(マタ、カイダン
Dsc04017
雨が降れば登れなくなります。
何とか天気が持ってよかったです…。
Dsc04015

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月 7日 (水)

思い立ったが発願めざせ結願~30高蔵寺

さて、いよいよ最終版です。

一気に…行けないところが千葉編のつらいところ。
陸路だとなかなか不便なところばかりで、結局2回に分けていきました。
始めに向かったのは、木更津にある高蔵寺です。
Dsc03989a
研究施設が建ち並ぶかずさアークのそばにあります。
なんだか、近未来の風景・・・。
Dsc03991a
すぐそばには原風景が。
Dsc03993a
古刹然とした風景が見えてきました。
高蔵寺は奈良時代から存在する極めて古い寺院であると言われています。
Dsc03996
ほぼ仏教伝来と変わらず、さらに
藤原鎌足ともゆかりがあるそう。
このあたりは鎌足という地名で、その由来でもあるんですよ。
Dsc03997
鎌足石という鎌足が腰かけたといわれている石もあります。
近未来的な研究施設のそばに、古代を感じるお寺があるなんて
不思議ですね・・・。

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月 5日 (月)

思い立ったが発願めざせ結願~29千葉寺

さて、最後に向かったのは千葉寺。

千葉県は千葉氏が名の由来になっており、千葉城のそばにあった千葉寺が、
千葉氏の祈願寺となったと言われています。
Dsc03980
しかし、現在の市街地からはやや離れたところになり、
最寄駅は千葉寺駅。そして、駅からは千葉城も見えます。
そして、やはりお寺も山の上…。
Dsc03982
源頼朝も愛染明王を寄進したそうですが、
火災や戦災によって堂宇は消失。
現在残っているのは、昭和51年に再建されたものです。
Dsc03987

| | コメント (0) | トラックバック (0)

2018年3月 4日 (日)

思い立ったが発願めざせ結願~28龍正院

すっかり、初めの2寺院が駅から近かったので、すっかり油断していましたが

次の龍正院は滑川駅から20分…。
Dsc03959
裏手からも入れるのですが、ガイドブックに書かれている通り
おすすめはやっぱり仁王門から。
Dsc03960
珍しくしめ縄がかけられている仁王門です。
神仏習合のなごりを感じられますね。
Dsc03961
仁王が門前町が火事になったときに、仁王が仰ぎ返したために
集落を救ったという由来があるそうです。
Dsc03963
境内にも鳥居があったりして、神仏習合の名残を感じられます。
Dsc03976

| | コメント (0) | トラックバック (0)

«思い立ったが発願めざせ結願~27【奥の院】万願寺