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2009年10月11日 (日)

川越街道をあるく〜三富新田と大井宿〜三富新田編

今日は、三富新田を見に、鶴瀬駅までやってきました。

20091011000 鶴瀬駅です。

駅には住居、スーパーが

併設されていました。

とっても便利そう…。

札幌の北24条駅とかを

思い出します。

(ナンテ、ローカルナ・・・

ここから、バスに乗って目的地に向かう…はずが。

なんと、40分近くもバスがやってこないことが発覚。

ええぃ!それなら歩いて行く!と

歩き始めたのが地獄の行脚の始まりだったのでした…。

20091011001 まず、三芳町に歩いていきます。

スーパーが立ち並ぶこの通り

「はなみずき通り」と

呼ばれているそうです。

一軒家も多く立ち並び、なんだか

のどかな気持ちになります。

このあたりは、旧石器時代から人が住み、

当時使われた石器などの

3万年前〜2万年前の遺構も残っているそうです。

昔から、気候が良い場所だったのかも。

昔に思いをはせると。。。

20091011002 うーん。

昔に生まれなくて

よかった…。

(ドジダカラネー

さらに、はなみずき通りを

歩いて行くと、

20091011004 なんと茶畑が。

ここは狭山からほど近く、

狭山茶を作る茶畑も

点在していました。

まさしく、江戸の台所を支える

食料供給地だったのでしょうね。

関越を抜けたあたりで見えてきました。

三富新田。

20091011005三富新田は

元禄時代、

当時川越当主だった

柳沢吉保によって

作られたといわれています。

水の利がよくないこの場所のために、

井戸を掘り、また短冊状に

土地を区画し、防風林に囲まれた住居、

畑、そして、雑木林と

自活した生活ができるように

1万2千坪の土地を配分しました。

ここから、サツマイモやホウレンソウが多く

出荷することになるのです。

http://www.jade.dti.ne.jp/~miyoshir/shitei/3.html

20091011006 少しずつ開発は

進められていますが、

それでも今でも

区画は残されており

また、畑には作物が実り、

柳沢吉保の業績の素晴らしさを見ることができます。

きっと国木田独歩がみた武蔵野はこのような風景だったのでしょうね。

20091011008 住宅があり、畑があり奥が雑木林・・・。

ちょっと想像してみました。

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