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2013年8月

2013年8月11日 (日)

吉本隆明『消費の中の芸』を読んでみた

久しぶりに、図書館で本を借りてみました。

吉本隆明の『消費の中の芸 ――ベストセラーを読む』です。

前作を読んだ時も、著者の思想を触れようと思っても

なんとなく波打ち際にいるようで、触れたと思ったとたんに別の話題になってしまっている。

集中が持続できないように感じていました。

だから、エッセイのような本が良く合っているような気がするのです。

でも、結構骨が折れました。

本は、人の主張や思想が詰まっています。

著者はそれらの本の主張や思想をさらに解釈し、

しかもそれには著者の主張や思想がこもっている。

そうなると理解をするのもなかなか難解なのです。

とはいえ、そのようなベストセラーから通して述べている著者の思想や主張は

10年近くたった今、ハッとさせられるところが多くありました。

たとえば、「後ろ向きの市民主義の善意」。

それは、「世論などにもならないし、賢いことにならないのもわからずに、

世論にしようとする」ものであるものに対して辛辣な言葉が見受けられます。

それは、現在のマスコミなどにたいしてインターネットなどに見られる

批判の言葉につながっているように思えます。

とはいえ、これらの言葉を扱う人に対しても辛辣な言葉を投げかけます。

「未熟である」と。

また、宗教などの知識は認めながらも、その知識を元手に当然に別分野である

科学や政治などに口を出す宗教人に対しても同様です。

その宗教の知識を得るために必要であった修練や労苦と同じくらい

それらの知識の習得にも必要であると指摘しているのです。

しかし、その知識の習得を必要がないと思わせているのは

まさしく知識人の後ろ向きの姿勢、きつい言い方をすれば「怠慢」なのではないのでしょうか。

著者は日本社会における知識人の後ろ向きの姿にいら立ちを覚えながらも、

安易に知識人を謗る、未熟さにもまた叱咤したかったのだろうと思えます。

また、気になったことは

現世の知識的俗物が「裏切り者」「スパイ」「反動」などと

世界の共産党筋からレッテルを貼られると、自分の生涯は終りだとしょげかえった

時代があったように、新宗教関係では今も「地獄」に落ちるとか、

「前世」や「来世」が虫けらみたいに罵られると、ショックな時代なのかもしれない。

と指摘していること。

この後、確かにそのような口癖があった人がテレビを席巻していたし、

そして、今インターネットの言葉で「炎上」が起きてしまう時代。

思想はいよいよ科学を離れて漂流してしまっている時代のように感じます。

「後ろ向きの市民主義」がいったい何を示していたのか

この本では明らかになっていないですが、

それこそ、修練と労苦の果てにいつか明らかにしなければ

漂流を続けるままなのではないのだろうか、と思うのです。

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