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2016年4月

2016年4月23日 (土)

怪獣と腐らないパン

本もぼちぼち読み始めています。

一つは

渡邉格『田舎のパン屋が見つけた「腐る経済」』

テレビで紹介されていた資本主義社会へのアンチテーゼとして、田舎で利潤を目的としないパン屋さん。とはいえ、採算性をしっかりとるため、安くはありません。

「天然酵母に耳を傾けているうちにこうなった」と著者は言います。

資本主義社会の問題点、そしてそこから抜け出すための展開がなされているのですが、文章も天然酵母の発酵の泡のように、浮かび上がっては消えていってしまうので理論としてつかむには困難で消化不良で読み終わってしまいました。

その理論的補強とつながるのは、

エド・デーンジェロ著川崎良孝ほか訳『公立図書館の玄関に怪獣がいる ポストモダンの消費資本主義はどのようにして民主主義、市民教育、公益をおびやかしているのか』です。

アメリカの公立図書館がポストモダンの消費資本主義に直面したとき、行政サービスの利益追求のために、予算が削られ、合理性を追求された結果、市民教育の機会が失われ、民主主義のために必要な知識、公共圏の提供という公益が失われていると主張します。

その指摘が間違っていなかったのは、日本における一連の図書館の騒動をみれば明らかです。合理性を求め利益を追求する企業が図書館を運営するとどうなるのか。

図書司書は素人の非常勤職員があてがわれ、その結果図書館の質は著しく低下しました。

しかし、企業としては当然の行為なのです。企業が行ってきたのは専門家を作ることではなく、業務を細切れにして平準化し、労働対価を切り下げていくことで利潤を追求していくことなのですから。

それは、『田舎のパン屋―』でも、初めに努めたパン屋が、利潤を追求するために交換可能な労働者として酷使される場面に現れています。

女性や外国人動労者を、労働市場に参入させようとさせるのも、より労働対価を切り下げるためであると厳しく指摘しています。

そして、その流れは今や公共サービスにも及んでいるのが現状です。その先鋭的な状況として現れたのが公共図書館だったのです。

図書館は市民に求めるサービスに応じるべきであるとする昨今の状況は公共サービスにも消費資本主義が及んでいる結果だと言います。そして、消費者が市民に取って代わっているとまで主張します。

消費者はエンターメントを求めるが、教育を求めない。わかりやすく、心地よい情報だけを求めていく。その結果、図書館にはエンターテイメント本が何冊も並べられ、本屋との区別がつかなくなっていると指摘します。

たしかに、テレビを見ればわかりやすい情報が視聴率が取れるので、視聴率を求める民放では特にわかりやすさやエンターテイメント性ばかりが強調されていますよね。

とくに、社会主義国家が瓦解した後は、資本主義こそが民主主義であり、先進国が民主的なのは経済が発展していたからであるとばかりに、より資本主義が強化され、情報はよりわかりやすくエンターテイメントに、仕事はより細かく分断され、集積化されるようにグローバルに広がっていっています。

しかし、経済発展と民主的であることとは関係ないことは近隣諸国の経済発展をみれば明らかです。また、集積化された結果富は偏在化し、一部の裕福な人と仕事とは到底言えない分断化された作業をこなすだけの大多数の人とに分かれてしまっているのです。

また、消費資本主義の特徴としてショッピングモールをあげています。ショッピングモールでは公共スペースはなく個々に買い物をする私的スペースしかないと指摘します。顧客同士また、モールの専門店同士のつながりはなく、モール経営者が利用を統制しています。

そうなれば、モール経営者と顧客もしくはモール内店舗の経営者との関係は到底対等とはいえず、富と権力が偏在化されていくのです。

資本の追求こそが求められます消費資本主義において、労働はさらに細分化され、市場はさらにグローバル化され、商品は交換価値の増大が求められます。そこに大多数の消費者や労働者がシステムについて考える余地はありません。

そうなれば、労働者の給与は下がり、より富の集積が起こり、さらに商品の平準化が求められるでしょう。パンは機械のように同質で腐らないことが求められるのです。

公共スペースが失われ、理性が失われてしまえば、公立図書館が守っていた民主主義が失われてしまう。そのような危険性を指摘しながら結んでいます。

たしかに、そのような危険性は現代社会に内在しています。時折インターネット上で起きる眉をひそめたくなるような炎上や、結局混乱をもたらしただけであったアラブの春など、指摘の正しさをいくつも見つけることができます。思考停止をしている人の行動は考えていないことを無自覚なだけに危険極まりないこともわかります。

しかし、地方に行ってパンを焼くことを決断した人がいるように、消費資本主義社会においても、人は考えることを止めないでしょう。

そして、その多くの人の考えの集積の先に新たな世界が開けるのだと思います。

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