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2019年1月

2019年1月 5日 (土)

おくのほそ道をたどる~再びの草加~

正月に中学生のいとこの子どもに百人一首で完膚なきまでやられたみもっちです。

9年前!?
古い記事をあさってみると三大ガッカリ観光地として
札幌時計台
をあげていました。
確かに、何度も行きたい!という場所ではないにせよ
どうしてそこまでたたかれてしまうのか。
思うに、時計台のイメージがよすぎるのではないかと思います。
どうしてイメージがよすぎるのか。
私は北原白秋の「この道」のせいではないかと思うのです。
この道はいつかきた道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる
そして2番
あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ
と続くのです。
しかし待った――――っ!!!
これでは時計台が丘の上にあるようになってしまいます・・・。
アンドリューワイエスの絵のようなイメージです。
しかし時計台がある場所は扇状地。丘の上には建っていない…。
もっと言えば、あかしやの花を見て書いたかも疑わしい・・・。
北海道で咲いているのはニセアカシアで、色のせいかそれほど印象的ではないのです。
しかし!札幌の花はアカシアと繰り返し歌われることになり、
ビルに埋もれる時計台を見てガッカリされることになってしまったのです。
まさしく、素晴らしい詩が現実とは必ずしも一致しない札幌のイメージを作り上げたと
いえるのではないでしょうか。
閑話休題。草加に戻ります。
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草加駅前へ。
しかし、ここで気が付いた。
ミラーレス一眼の電池が切れていることに…。
ということで、タダの重い荷物を持って歩き回ることになりました。
お土産を持たされる芭蕉さんの気持ちがわかったところで…。
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歴史民俗資料館です。
大正時代に建てられたコンクリート造。
長らく小学校として使われていたようです。
無料で入れることもうれしい。
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17世紀に創建された東福寺。
松尾芭蕉が歩いたころにはすでに存在していました。
ただこの建物は19世紀に入ってからのものです。
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松尾芭蕉像です。
やはりたれ目が基本。
でも細身です。
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草加松原です。
今でこそこのような素晴らしい松並木が続いていますが…。
松尾芭蕉がおくのほそ道を書いた当時は
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実はこんな感じ。
あの有名な草加せんべいもまだなかったと言います。
Dsc_0034
「おくのほそ道」では、ようやく草加に宿を取ったと書かれていますが、
実際は越谷宿よりも先、粕壁宿(春日部)で宿を取ったとされています。
それでは、どうして草加に泊まったことにしたのか。
つらい思いを示したかったなどともいわれていますが、
私は、松尾芭蕉の読者に対する考えがあったことだと思います。
あえて読者である江戸の下町の人にこの旅を身近に感じて
もらいたかったのではないかと思うのです。
もし、粕壁としてしまうと、日本橋から50キロ以上ありますから、
おそらく、下町で生活している人には身近に感じられない距離でしょう。
よっぽどでなければ行こうとすら思いません。
しかし、草加であれば日本橋から22キロ。さらに下町からなら
もっと近く感じられるでしょう。
頑張れば日帰りも無理ではありません。
そのように少し足を延ばせば届く草加を取り上げることによって
この作品を身近に感じてもらいたい、そして東北というはるかな旅路を
少しでも感じ取ってもらいたい。
そう思っていたのではないでしょうか。
そして、「おくのほそ道」に取り上げられたことによって
草加は現在のように発展したのだと思います。
まさしく、素晴らしい作品が作り上げたイメージに沿うように
街が作られ、ドナルド・キーンに「おくのほそ道の風景地」と
言わしめるほどになったと思うのです。
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そして、この街並みが少なくとも300年続いているのですから
既に「歴史的」ともいえるのではないでしょうか。
そこには町に対する多くの住民の強い愛着を感じずにはいられません。
すべての松の木にこもを巻いていることも、
多くの人が行き来して時には松を見上げていることも、
先人の努力がまたあらたな郷土愛と素晴らしい景色をうんでいくのだと感じました。
・・・いっそのこと、羊ケ丘の丘の上に時計台を作ってしまおうか。
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