おくのほそ道をたどる

2019年3月17日 (日)

おくのほそ道をたどる~3室の八島

さて、少し時間が空いてしまいましたが今回は室の八島に行ってきました。

室の八島は古代より多くの歌人に歌われてきました。
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絶えず焚く 室の八島の煙にも
なをたち勝る 恋もするかな   摂津
室の八島の煙というのは恋焦がれる思いを比喩的にあらわされたもので、
多くの歌人に歌われたものです。
そのように歌われた煙なのだからきっと美しい・・・と芭蕉が感じ入るのも当然で
わざわざ壬生から遠回りをして入っているのです。
大神神社
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狛犬の細かな部分に彩色が残っていて当時は華やかだったのだろうと思われます。
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現在の建築は大正時代のもの。
芭蕉がここに来たのは天和2年の復興後とのことですので
おそらく真新しい建築だったのだと思われます。
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日本最大の広葉杉。
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ここは親鸞も訪れた古刹なのですが、長らく荒れ果ててしまっていました。
(そう考えると関東三十三所はすごい・・・)
家光が日光に参詣するときに立ち寄り
名所であるこの場所があれてしまうのは忍びないと家光が寄進したのが
中興の礎になりました。
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家光が寄進した1万本を御用松と呼んでいるそうです。
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しかし、曽良がコノハヤサクヤビメとの関係をとうとうと語る部分で芭蕉は何を思ったのでしょうか。
そもそも大神神社は三輪山がご神体です。
一方でコノハヤサクヤビメは富士山とつながりがあるのですよね。
聞くからに怪しげな感じに思うのですが…。
とはいえ、八島だけを考えたらこのような景色も十分フォトジェニックだと思います。
なんといっても
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此処が室の八嶋
と強調されています。ハイ。
結局、芭蕉はここの歌を「おくのほそ道」には残しませんでした。
初めてたどった歌枕の地にもかかわらず。
替わりに
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糸遊に 結びつきたる 煙かな
と詠んでいます。
古代の人は春の陽炎を煙とみなした・・・そう考えたのかもしれません。
ちなみに室の八島は何を指すかは諸説あり、そのうちの一つに
かまどを指しているという説があります。
個人的にはかまど説が好きです。
家に帰ってきたときに煙が上がっているのを見て相手の愛を感じる…
いいと思うんですけどねーかまど説。
さて、このまま帰るのは少ししゃくだったので、プラプラしてみます。
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不思議な建物が…。
こういうものが八島に見えたのかなーなんて思ったりました。
しかし、何の建物だったのだろう…。
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ぎやー!遠い!
中世に比べて古代って距離感がずっと広いように感じる。
実は結構スピードを出して行き来していたんじゃないかって思う。
中世に比べて道も整備されているしね。
やっぱり、国家体制と共同体体制の違いかな・・・。
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昔ながらの建物が点々と続いています。
日本の農村景色ですね。
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この時にスウィートホームのゲームが思い浮かんだのは秘密。
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だんだん歩くのも心細くなる道の先に…
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目的地がありました!
下野国資料館です。
律令国家であったとき東山道の国衙の一つでした。
東山道は平城京から北は青森までという、一大行政区域だったのです。
おくのほそ道でここに立ち寄るのもある意味必定だったのかもしれませんね。
もっともここが発掘されるのはずっと先のことですが。
むろん当時のものは礎石や瓦などにとどまりますが、
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なんと入り口部分は再建されています!
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関東では大分寒そうですよね。
入り口部分ですね。
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脇殿には藤棚が配置されており
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遠景でもイメージがつかめるようになっております。
実は本殿跡には現在神社があります。
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この神社の祭儀風儀には氏子の祭組にいわゆる「宮座」をうかがわせるものがあること
祭式次第に「直会」をうかがわせるものがあるなど特色があるようです。
いわゆる講をはじめとした地域共同体が生まれるのは平安時代末期から室町時代と
いわれていますが、国衙の本殿をよりどころとして失われた神社も多い中で
文化と伝統が続いていったことは驚くべきことです。
文字以外の継承ももっと大事にしていくべきだと思った旅でした。

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2019年1月 5日 (土)

おくのほそ道をたどる~再びの草加~

正月に中学生のいとこの子どもに百人一首で完膚なきまでやられたみもっちです。

9年前!?
古い記事をあさってみると三大ガッカリ観光地として
札幌時計台
をあげていました。
確かに、何度も行きたい!という場所ではないにせよ
どうしてそこまでたたかれてしまうのか。
思うに、時計台のイメージがよすぎるのではないかと思います。
どうしてイメージがよすぎるのか。
私は北原白秋の「この道」のせいではないかと思うのです。
この道はいつかきた道
ああ そうだよ
あかしやの花が咲いてる
そして2番
あの丘はいつか見た丘
ああ そうだよ
ほら 白い時計台だよ
と続くのです。
しかし待った――――っ!!!
これでは時計台が丘の上にあるようになってしまいます・・・。
アンドリューワイエスの絵のようなイメージです。
しかし時計台がある場所は扇状地。丘の上には建っていない…。
もっと言えば、あかしやの花を見て書いたかも疑わしい・・・。
北海道で咲いているのはニセアカシアで、色のせいかそれほど印象的ではないのです。
しかし!札幌の花はアカシアと繰り返し歌われることになり、
ビルに埋もれる時計台を見てガッカリされることになってしまったのです。
まさしく、素晴らしい詩が現実とは必ずしも一致しない札幌のイメージを作り上げたと
いえるのではないでしょうか。
閑話休題。草加に戻ります。
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草加駅前へ。
しかし、ここで気が付いた。
ミラーレス一眼の電池が切れていることに…。
ということで、タダの重い荷物を持って歩き回ることになりました。
お土産を持たされる芭蕉さんの気持ちがわかったところで…。
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歴史民俗資料館です。
大正時代に建てられたコンクリート造。
長らく小学校として使われていたようです。
無料で入れることもうれしい。
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17世紀に創建された東福寺。
松尾芭蕉が歩いたころにはすでに存在していました。
ただこの建物は19世紀に入ってからのものです。
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松尾芭蕉像です。
やはりたれ目が基本。
でも細身です。
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草加松原です。
今でこそこのような素晴らしい松並木が続いていますが…。
松尾芭蕉がおくのほそ道を書いた当時は
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実はこんな感じ。
あの有名な草加せんべいもまだなかったと言います。
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「おくのほそ道」では、ようやく草加に宿を取ったと書かれていますが、
実際は越谷宿よりも先、粕壁宿(春日部)で宿を取ったとされています。
それでは、どうして草加に泊まったことにしたのか。
つらい思いを示したかったなどともいわれていますが、
私は、松尾芭蕉の読者に対する考えがあったことだと思います。
あえて読者である江戸の下町の人にこの旅を身近に感じて
もらいたかったのではないかと思うのです。
もし、粕壁としてしまうと、日本橋から50キロ以上ありますから、
おそらく、下町で生活している人には身近に感じられない距離でしょう。
よっぽどでなければ行こうとすら思いません。
しかし、草加であれば日本橋から22キロ。さらに下町からなら
もっと近く感じられるでしょう。
頑張れば日帰りも無理ではありません。
そのように少し足を延ばせば届く草加を取り上げることによって
この作品を身近に感じてもらいたい、そして東北というはるかな旅路を
少しでも感じ取ってもらいたい。
そう思っていたのではないでしょうか。
そして、「おくのほそ道」に取り上げられたことによって
草加は現在のように発展したのだと思います。
まさしく、素晴らしい作品が作り上げたイメージに沿うように
街が作られ、ドナルド・キーンに「おくのほそ道の風景地」と
言わしめるほどになったと思うのです。
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そして、この街並みが少なくとも300年続いているのですから
既に「歴史的」ともいえるのではないでしょうか。
そこには町に対する多くの住民の強い愛着を感じずにはいられません。
すべての松の木にこもを巻いていることも、
多くの人が行き来して時には松を見上げていることも、
先人の努力がまたあらたな郷土愛と素晴らしい景色をうんでいくのだと感じました。
・・・いっそのこと、羊ケ丘の丘の上に時計台を作ってしまおうか。
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2018年10月21日 (日)

おくのほそ道をたどる~旅立ち~

まずは、芭蕉の旅立ちに合わせて降りたのは

Dsc04161日暮里駅です。
旅立ちの場所は別の場所。
どうして、わざわざこの駅で降りたのかというと
旅立ちに
「上野谷中の花の梢」
という一節が出てくるからなのです。
なぜ、わざわざおくのほそ道に
関係のない地名を忍ばせたのか。
思うに、この話は
江戸に住んでいる人を読み手として想定したのではないかと思うのです。
だからこそ、江戸の人に良く知られた地名を書いておくことにより紀行文を身近に感じてもらい、
さらに、日常の地名を入れることにより旅という非日常をより際立たせることが出来たのではないかと思うのです。
谷中は日暮里からすぐそばにあります。
すぐに谷中霊園にあたるのですが、その霊園のわきに幸田露伴の住居跡があります。
ここから見えた五重塔をモチーフに『五重塔』を書き上げたと言われていますが
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今は何も見えません。それもそのはず
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昭和32(1957)年に放火心中があり、燃えてしまったのです…。
Dsc04166事務所には五重塔の模型があります。
大きく立派な五重塔だったようですね。
これが燃えてしまうなんて
放火心中コワイ
建てられたのは正保元(1644)年なので、
芭蕉もおそらくこの五重塔を眺めていたのだろうと思います。
もっとも幸田露伴が書いている通り明和9(1772)年に建て替えているため全く同じではないかもしれませんが…。
さて、谷中霊園は様々な宗派の人の墓があり、神道などの墓もあります。
徳川慶喜の墓もここで眠っています。
行くときに恒例の夫婦のご主人が
「テレビで見たよっていうんだ」と
話していましたが、それは徳川慶喜ではなくてモックンなのでは…。
イツチヤダメ
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徳川家は代々仏教徒ですが、ここでは儒式で祭られています。
林家墓地はちょっと手入れが十分ではないように感じましたが
ここでは本来の儒式の墓の様子がわかりますね。
まあ、このあたりは無論江戸時代にはなかったわけで次に進みます。
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以前から行きたかった笹乃雪へ。
元禄年間からあったということで、おくのほそ道を旅したころから存在する
貴重な老舗です。
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餡掛け豆腐がこのお店の名物。
餡がさらりとしておいしいです。
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茶粥がおいしかった。
江戸時代からの変わらぬ味だと思います。
忠八めしを思い出しました。
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上野をめぐり、いよいよ千住へ。
さて、千住についてはおくのほそ道では次のように書かれています。
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意外と簡潔にしか書かれていないのですよね。
行く春や 鳥啼き魚の 目は涙
という歌が記憶に残っていましたが。
そのために川の岸の手前か奥かでもめています。
なぜなら…手前が荒川区で奥が足立区・・・だからなのですね。
さて初めは南千住。
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南千住のロータリーにしっかりと立っています。
見据えているのは千住大橋でしょうか。
ちょっと若々しく、たれ目が現首相に似ている感じも・・・。
素戔嗚神社にも寄ってみました。
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うん?笠と杖が…。
なんと松尾芭蕉の書置きがありました。
「こんにちは 松尾芭蕉です」
・・・カルイ
ここでは7日逗留したという説を取っているようですね。
これは曽良の日記から生まれたものでしたが、
実際は誤記であったとの説が通説です。
その日のうちに春日部まで向かったということになっているようですね。
とはいえ、笠と杖が残されているというのは遊び心があってとても好きです。
おくのほそ道はフィクションが多分に交じっている旅行記ですから、
寄っていったとしたって十分よいのではないかと個人的には思うのですが。
さて、先に進むと
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見えてきました。千住大橋。
以前隅田川にかかっていた橋はこの橋だけだったということで
「大橋」
とよばれていたそうです。鉄橋のプレートに名残がありますね。
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船で降りたあたりに矢立初めの地という石碑が…。
そしてそこから進んだ足立市場に
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北千住側の松尾芭蕉像があります。
これは、あちこちに芭蕉像ありそうですね。
あと何体見つけることができるだろう…。
基本たれ目に作られているんですね。
これは矢立を持っていてなかなか芸が細かいと思います。
一旦ここで終了。
次回はあるのか?!こうご期待。

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2018年10月13日 (土)

おくのほそ道をたどる~発端~

おくのほそ道をたどる~発端~
おくのほそ道をたどる~発端~
関東三十三ヶ所巡りをして早一年が経とうとしています。
秩父や西国巡りも考えましたが、やる気がまるででない日々…。

そんなとき、ふと
東北に行ってみたいかも
と思いました。

東北の旅文学といえば、やはり
奥のほそ道。

元禄2年(1689年)。
奥羽・東北地方から伊勢を巡る旅を書いたもの。
それは、歌枕を巡る旅であったとも言われています。
映像が無い時代、歌枕は美しい景色を広く伝え、人に旅への憧れを強めさせたアイコンだったのではないでしょうか。
そんなおくのほそ道もまた旅への憧れを強めさせるものです。
そして私も…

というわけで、今回は

『おくのほそ道』に書かれた地名を順にめぐっていく旅

です。
でも、例えば発端にかかれている白河の関など挙げているだけのものは除きます。

そう決まったらまずは、トラベラーズファクトリーで
トラベラーズノートを購入。

旅の記録を書きながら進んでいきます。

さて…どうなることやら。

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